149:カテッジ・イン

カティヂイン=Cottage Inn
カテッジ=別荘
イン=宿


聞きなれない言葉かもしれませんが、どうやらこれは、「別荘」と「宿」を合わせた造語のようです。

金谷ホテルの歴史は一軒の侍屋敷を、その様式のままで外国人向けの民宿にしたことからはじまります。
もう少し詳しく話せば、時代は江戸から明治。時代も環境も大きく変化する中、当時18歳の金谷善一郎青年がヘボン博士と出会い、博士の申し出に応じてこの屋敷の2階を一夏の間貸すことから“現存する日本最古の”ホテルの物語がはじまるのです。
外国人の姿を見ることが珍しかった時代。
日光の町であっても同じで、外国人に対する住民の偏見も多かったようです。
外国人を家に泊めるということ自体が世間では好ましくなく思われ、その上、動物性の食材の調理も近所から疎まれました。
その中で、試行錯誤してサービスを育てていきます。
宿泊した外国人からは「サムライ・ハウス」と呼ばれて親しまれました。
居留地の中での暮らしから離れ、「武家屋敷に泊まる」「和の暮らしに包まれる」という経験こそが新鮮で特別なものだったことが窺えます。
後に、カテッジ・インやカッテージ・イン、またはコテッジ・インなどと呼び、善一郎の「サービス」は「事業」として成長します。

現在では古民家の再利用やリノベーションなどの例がたくさん見られるようになり、「民泊」も一般的になってきました。
金谷は、試行錯誤の中、150年も前にその先駆けとなる事例となりました。

イザベラ・バードをはじめ、ここでの一つ一つの出会いが後に善一郎や金谷家を助けることになります。
(バードの精巧なスケッチが残っていますので、ここでも写真でご紹介します)

そんなストーリーがたくさん詰まった金谷の原点とも言えるこの武家屋敷は現存します。
現在は「金谷ホテル歴史館」として、一般公開されており、見学いただけます。

参考:「金谷ホテル物語ー明治のホテルマンたちの遺訓」坂巻清美・著

●金谷ホテル歴史館
https://nikko-kanaya-history.jp

【関連項目】
54:金谷の原点・四軒町
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2:金谷善一郎
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46:楽人
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47:善一郎と二人の息子
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48:小林年保と金谷善一郎の再会
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49:イザベラ・バード
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50:バードの旅行記
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51:バードが待った場所
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64:ホテルと共に七拾五年
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