金谷ホテル150の宝物

金谷ホテル創業150周年を記念して、「金谷ホテル150の宝物」をご紹介してまいります。
宝物は「建物」かもしれないし、「物」なのかもしれません。「食」や「人」でもあるでしょう。
ホテルの宝物を紹介しながら、これまでのホテルの歩みをご紹介してまいります。
150の宝物が紡ぎだす金谷ホテルをお楽しみください。

102:蔵

敷地内の蔵です。大正時代に建てられたものと思われ、「金谷の歴史」が詰まっています。

101:眠り猫(2匹目)

当ホテル所有の眠り猫の置物です。葵の紋と「日光山」と書かれており、土産品として流通していたものであると思いますが、この原形は日光在住だった彫り師・森乙丸の眠り猫を引いているものと思われます。

100:宿泊者の記憶 / ヘレン・ケラー

ヘレン・ケラーは、1937年(昭和12年)の7月5日に宿泊しています。
この時が、初来日だったとか。

99:眞一の机

ギャラリー「金谷の時間」に入ってすぐのところに、古い机を展示しています。

98:古いランプ

当ホテルに残っている古いランプです。

97:スタッフの工夫 / ドアストッパーのストッパー

ドアストッパーのストッパーを発見しました。

96:日光彫のテーブル

ロビーやバー「デイサイト」には、日光彫を施したテーブルが多くございます。

95:金谷のオムレツ

朝食でご提供しているオムレツは、熟練されたシェフだけが作ることを許された逸品で、定番となっています。

94:古いソースパン

料理場には、古くから使い続けられている道具がいくつかあります。

93:昔の食器その2

大正から昭和初期にかけて使用されていた銀食器です。

92:ディナーのチャイム

当ホテルでは、ディナーの前にスタッフがチャイムでお知らせしております。

91:紅葉

当ホテルの敷地内でも、紅葉の季節には庭や裏山、散策コース等の樹々の色づきがたっぷりとお楽しみいただけます。

90:葵の紋入りの擬宝珠ランプ

メインダイニングの前、階段の登り口にございます。
擬宝珠(ぎぼし)に明かりが灯るようになっており、葵の紋もあしらわれています。

89:宿泊者の記憶 / 池波正太郎

池波正太郎は、度々当ホテルに宿泊し、その時の様子が「よい匂いのする一夜」に綴られています。

88:昔のフロートガラス

館内の各所では、往時の建具がそのまま使われています。
メインダイニングの窓ガラスもその一つです。

87:バーのレコード

バー「デイサイト」では、お酒と共にアナログレコードの音もお楽しみいただけます。
バーテンダーが選ぶ、この季節におすすめの3枚は…

86:古いウォーターピッチャー

メインダイニングで使用している、古いウォーターピッチャーです。

85:別館入り口の彫刻

リニューアルした別館の入り口には、彫刻がほどこされています。

84:ビンテージのジンボトル

バー「デイサイト」に残る、古いジンボトル。
おそらく100年以上前のもののようです。

83:初期の料理場

当ホテルの最初の料理場の様子です。

82:ヘボン博士

宣教師であり、医師のヘボン博士は、「ヘボン式ローマ字」の発案者であることや明治学院の創立者であることでもその名が知られていますが、当ホテルにとってなも実に大切な人物です。
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81:ディナー前のメインダイニング

18時のディナーの前のメインダイニング。
各テーブルの準備は終えて、少し間、静かな時間が流れます。

80:ギャラリー「金谷の時間」

敷地内にどなたでもご覧いただけるギャラリー「金谷の時間」がございます。

79:庭のお地蔵様

別館の西側にお地蔵様がいらっしゃいます。
西を向いて、特に春やこの季節の天気の良い日には、気持ちよさそうに西日を浴びています。

78:古いメニュー

これまでの各時代のメニューが残っております。

77:久米権九郎と久米式

当ホテルの別館は、久米設計の創立者である久米権九郎によるものです。構想は眞一の弟の山口正造(箱根富士屋ホテル三代目社長)のものだったようです。

76:ヒゲ

発展期を牽引した、金谷善一郎の二人の息子。金谷眞一と金谷正造(山口正造)は、共に立派な髭を蓄えておりました。

75:古いトーストラック

倉庫に残る、古いトーストラックです。

74:接収の記憶

1940年(昭和20年)10月17日、当ホテルは米軍に接収され、保養所となりました。
以降、1952年(昭和27年)の接収解除まで、実に7年に渡って接収は続きました。

73:銅鍋

銅製のしゃぶしゃぶ鍋です。
中央の筒の下部に炭をいれて使います。

72:宿帳

当ホテルでは、創業以来150年に渡り様々なゲストをお迎えして参りました。
お泊まりいただいた方々の名前は、宿帳に残っています。

71:眞一と釣り

二代目社長金谷眞一は、釣りを趣味としていました。
当ホテルには、その頃の写真が多く残されています。

70:LOOK OUT

館内には、英語表記の注意書きがございます。
探してみてください。

69:をす

当ホテルの回転扉には「をす」の表記があります。

68:ビリヤード台

ロビーの脇のスペースにビリヤード台がございます。

67:金谷スタイル

明治時代から受け継がれる看板メニューが「日光虹鱒のソテー 金谷風」です。

66:日光和楽踊り

盆の時期に「夏祭り」を開催しておりました。
このプログラムの中には日光和楽踊りや出店などもあり、お客様や地域の方々に楽しんでいただけるよう、スタッフ一同手づくりのお祭りでした。

65:別館前の高野槙

7月15日に新装オープンした別館の玄関ポーチ前には、大きな高野槙(コウヤマキ)があります。
この高野槙は、二代目社長の金谷眞一が誕生を記念して当時の四軒町(しけんちょう)の屋敷に植えられたものが移植され、ここで大きく育ったものです。

64:ホテルと共に七拾五年

金谷眞一著の「ホテルと共に七拾五年」は、黎明期から発展期を記した手記です。
この特集でもたびたび参考、引用しています。

63:プール

当ホテルの施設の一つには、プールもございます。

62:天然氷と氷室

1918年(大正7年)から、小倉山の凍った池から氷を切り出してホテル内の氷室に運んで食材の保存に使うようになりました。

61:笹竜胆(ささりんどう)

金谷ホテルのロゴマークには、金谷家の家紋である「笹竜胆(ささりんどう)」が使用されています。

60:想像の象

日光東照宮を訪れた方は、三猿のある神厩舎から参道の反対側に位置する「上神庫」の屋根下に「想像の象」の彫刻があしらわれているのをご存知かと思います。
この想像の象、実は当ホテルにもいるんです。

59:宿泊者の記憶 / アインシュタイン

当ホテルの宿帳は、様々な歴史の記録にも当たります。
その中には、物理学者であるアルベルト・アインシュタインの名前もあります。

58:昔の霧吹き

当ホテルには、かつて使用していた道具もたくさん残っています。
この霧吹きもその一つです。

57:別館の輝く屋根

別館の改修工事が終盤を迎えております。
先日、足場と覆いが外れ、銅板葺の屋根が現れました。

56:T型フォード

二代目社長金谷眞一は、1914年(大正3年)に一台のフォード社の自動車を手に入れました。

55:モリアオガエル

当ホテルの敷地内では、毎年この時期にモリアオガエルの鳴き声を聞くことができます。

54:金谷の原点・四軒町

四軒町(しけんちょう)と読みます。
日光の西町(にしまち)地区にあって、現在では本町という町名になっています。

53:修行の道・祈りの場

当ホテルの敷地に隣接して「星の宿」がございます。さらに坂道の中ほどには「星の宮」がございます。

52:字星ノ宿(あざほしのしゅく)

現在、当ホテルが立地する場所は、星ノ宿(ほしのしゅく)という地名で呼ばれています。

51:バードが待った場所

イザベラ・バードの来晃時、彼女はガイド兼通訳の伊藤に金谷宛の手紙を持たせ、神橋付近で腰掛けてその帰りと返事を待ちます。
旅行記の中の記述から考えてみると、「星の宮」を少し下ったあたりではないかと推測されます。

50:バードの旅行記

当ホテルの所有する「UNBEATEN TRACKS IN JAPAN」です。

49:イザベラ・バード

1878年(明治11年)、一人のイギリス人の旅行家が日光や新潟・東北・北海道、伊勢や関西などを訪れ、それを記した紀行文(日記)が後に本国で発売され、瞬く間に重版を重ねる大ヒットとなりました。
その旅行家の名前は、イザベラ・バード。

48:小林年保と金谷善一郎の再会

小林年保は日光の花石町生まれ(1848年・嘉永元年)で、日光奉行所の役人でした。

47:善一郎と二人の息子

創業者・金谷善一郎は、試行錯誤の上に金谷カテッジインを創業・経営し、その後の金谷ホテルの経営を二人の息子に託しました。

46:楽人

創業者の金谷善一郎は日光東照宮に楽人(がくじん)として奉職していました。

45:畜産部

1926年(大正15年)、ホテルから1㎞ほど離れた小倉山に畜産部がつくられました。

44:大正コロケット

看板メニューの一つ「大正コロケット」。
「大正コロケット」は通称で、「若鶏と蟹入りベシャメルコロッケ トマトソース」が正式名称です。

43:料理場のゲストボード

料理場にある年季の入ったゲストボード。

42:スタッフ用の注意書き

ホテルのバックヤードには、長い間貼られているスタッフ用の注意書きが残っています。

41:大黒様

当ホテル内の某所に、木彫りの大黒様が鎮座しています。
また、裏山の「大黒山」にも大黒天が祀られており、それにはこんな不思議な謂れがございます。

40:電話 / 日光一番

電話、日光一番。
今から約120年前。当ホテルは、日光でいち早く電話を設置いたしました。

39:昔の広告

当ホテルの昔の広告です。

38:クリンソウ

当ホテルは自然に囲まれており、敷地内でも様々な花をご覧いただけます。
クリンソウもその一つです。

37:バーカウンターの椅子

長年使用している、デイサイト(バー)のカウンターの椅子です。

36:日光彫の衝立

ロビーに展示している衝立は「四季花鳥衝立(しきかちょうついたて)」と題したもので、その名の通り季節ごとの鳥や花があしらわれています。

35:バンケットホールの床

建物の一番奥に構える「バンケットホール」では、ご婚礼をはじめ様々な催事が催されます。
こちらの部屋にも様々な設えがございますが、足元にもご注目ください。

34:渡部親方

初代料理長、渡部朝太郎

33:男体山アイスクリーム

昭和初期に当ホテルの結婚披露宴で登場していた「富士山アイスクリーム」は、現在では「男体山アイスクリーム」と呼んでいます。

32:地域とのつながり ー弥生祭ー

金谷ホテルでは、毎年4月に行われる「日光弥生祭」の際に、上鉢石町の花家体(はなやたい※)を正面玄関前にてお迎えしております。

31:ヤシオツツジ

日光に春の訪れを告げるヤシオツツジ。
山地、山間部を中心に多くみられ、日光市の花としても親しまれています。

30:法被

当ホテルで代々使われ続けている法被です。

29:消防団(消防隊)

当ホテルには、1909年(明治42年)にスタッフにより結成された防火組織「消防隊」がありました。

28:破壊用ハンマー

館内の数カ所に設置されている破壊用ハンマー。

27:ポスト

正面入り口脇に現在も設置されている丸型ポスト。

26:扉の部屋番号

各お部屋の扉に表示されている部屋番号にはいくつかの字体があります。

25:天窓

螺旋階段の上にある天窓です。

24:ロビーの時計

本館ロビーに置かれている、唯一の時計です。

23:レターデスク

本館ロビーに置かれた
思わず手紙を書きたくなる、そんなデスクです。

22:コンソメスープ

1896年(明治29年)のレシピに、コンソメスープが登場します。

21:眠り猫(1匹目)

日光で最も有名な猫「眠り猫」
日光では古くからお土産用に多くの眠り猫が誕生していますが、ここ金谷ホテルにも数匹の眠り猫像が存在します。その代表格がこちらです。

20:スタッフだけが見ることのできる風景

お客様がチェックアウトされた後の客室では、バスルームに柔らかな日の光が入ります。

19:もちつき

当ホテルの正月の名物行事で、かつては正月三が日の間、毎日開催していたこともありました。
多い日は一日に3回も開催していたこともあります。

18:フロント裏の大谷石組

ホテル内には、大谷石がふんだんに使われています。

17:笙

金谷ホテルの歴史を語る時、欠かせない物の一つに「笙」があります。

16:木馬

スケートリンクで使用されている木馬。 何のために存在しているのでしょうか?

15:スケートを楽しむ人々

「避暑地・日光」のイメージが強いかと思われますが、気候・風土を活かした冬場の楽しみもありました。

14:昔の食器その1

普段見る事のない食器の裏面には、メーカーなどが印字されているものがあります。

13:バスタブのお湯を温めなおす道具

バスタブのお湯を温めなおすための道具で、取っ手とコンセントが付いています。

12:大黒参り

日光金谷ホテルの裏山は大黒山と呼ばれ、大黒様が祀られています。毎年12月と年が明けた1月にお参りしています。

11:スケート靴

スケートは日光の冬の楽しみの代表格でした。

10:回転扉

時間旅行への入口です。

9:バーの暖炉

ライトが設計したのではないか、とも言われています。

8:猫足のバスタブ

19世紀に欧米で流行した浴槽のスタイルです。

7:バゲッジタグ

ホテル宿泊者へのプレゼントとして20世紀初頭、海外の高級ホテルが作り始め、そのラベルをカバンに貼ることがステータスとなりました。日本の印刷技術と美しいデザインは海外でも高い評価を受けていたようです。その海外の風習に倣って金谷ホテルでも用意したと思われます。日本では戦後旅行スタイルの変化、大衆化に伴い変化を遂げました。

6:スチームハンマー

何の音でしょう?これは、スチームハンマーという、暖房設備の一部です。冬ならではの外部の美しい景色もそうですが、この音もまた日光金谷ホテルの冬の風物詩となっています。

5:122号室からの景色

金谷ホテルには、四季や時間による変化を楽しめる風景が数多あります。別館の角の122号室は、日光山内の森や日光連山を、壮大な屏風絵のように望むことのできるお部屋です。別館ロータリーに面したお部屋は、ある一定に時間しか日光が差し込みません。スタッフが清掃の時にしか見られない、光に照らされた風景は宝物です。

4:別館の電気室

1888年(明治26年)に日光で最初の水力発電所が日光西町の向河原にできたことで、ホテルとして電力を使用することはできていましたが、1908年(明治41年)に、現在のホテルから大谷川を挟んで対岸の萩垣面にある松屋敷の敷地に自家用水力発電所をつくり、電気をホテル内の変電所に送って使用していました。これにより、安定的な電力供給が可能になり、ボイラーなど様々なホテルインフラが整いました。1935年(昭和10年)に、もともとあった変電所は現在の別館の地下室に移され、現在も残っています。

3:スケートリンク

現在でも使用できるスケートリンク。実は、1914年(大正3年)にコンクリート敷のテニスコートとして整備したものを、冬季はスケート場としたものです。これまでに皇室の方々をはじめ多くの方にこの氷上で「冬の日光」を体験いただきました。

2:金谷善一郎

金谷ホテルの創始者、金谷善一郎は金谷家の9代目として1852年(嘉永5年)10月8日に生まれました。日光東照宮の楽人で笙(しょう)を担当していました。気骨と実行力のある人柄で、丁寧、几帳面。子煩悩な面もあったそうです。

1:正面の看板

長年お客様をお迎えしている木製の看板です。金谷ホテルが現在の場所に拠点を移した当初掲げられていたものは、現在の看板とは違いますが、移転した数年後に大谷川からホテルを撮影したと思われる写真には同じデザインの看板が写っています。